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FDニュース

第一回生活科学部FDフォーラム講演録

FD活動の背景と実践:個人から組織へ、組織から個人ヘ

第一回生活科学部FDフォーラム発表原稿

2001年2月7日 丸山文裕(人間関係学部)

FDファカルティ・デベロップメント(FD)という言葉がよく聞かれるようになりました。もともとは、イギリスやアメリカで使われていましたが、日本でも20年以上も前から、このFDやSD(スタッフ・デベロップメント)が紹介され、場合によっては実践されてきました。FDは、かつては教員の個人的な活動でしたが、ここ2~3年で急速に大学の中に浸透してきています。また大学関係諸団体でも様々の形で実践が行われています。今回は何故FDが問題になるのかを考えると同時に、様々な実践例を紹介します。

1.FDとは:個人から組織ヘ

2.FD活動の背景

3.FDの実際

4.私学とFD

5.FDと大学評価

6.FDの課題:組織から個人ヘ

参考文献

1.FDとは:個人から組織ヘ

Faculty Developnentは、一般的には大学教授団の資質開発と訳される(有本)。これは広義の訳で、狭義には大学教員研修と訳されることもあり、個々の大学教員が所属大学における種々の義務(教育、研究、管理、社会奉仕など)を達成するため必要な専門的能力を維持し、改善するためのあらゆる方策や活動と定義されている(原)。大学審議会答申でも、FDを教員が授業内容・方法を改善し、向上させるための教員相互間の授業参観、授業方法研究会、新任教員のための研修会と定義している。もつと広く考えることも可能で、シラバスの充実、学生による授業評価の実施、セメスター制の導入、組織的教育を含めることも可能である。形としては、研修会、ワークショップ、シンポジウムヘの参加があり、これらには、単に講義を聴くだけのものから、泊まり込みての体験実習型まである。いずれも、大学における教育活動の重要性の認識と、教授技能の向上を狙つた啓蒙活動である。

おそらく1990年代は、大学改革の時代の始まりと後世から呼ばれるであろう。1991年の大学設置基準の大綱化によってそれは開始され、そこでは大学教育の改善が強く求められた。それはその後10年連続的に続き、1990年代終わりには今後の高等教育政策に大きな影響を与えると思われる2つの大学審議会答申が出された。一つは1998年の「21世紀の大学像と今後の改革方策について一競争的環境の中で個性が輝く大学」であり、もう一つは2000年11月22日に出された「グローバル化時代に求められる高等教育の在り方について」である。2つの答申は、ともに言及している高等教育の範囲は広いが、共通して大学教員の教育力の向上を強調している。「21世紀の大学像」答申では、「各大学は、個々の教員の教育内容・方法の改善のため、全学的にあるいは学部・学科全体で、それぞれの大学等の理念・目標や教育内容・方法についての組織的な研究・研修(ファカルティ・ディベロップメント)の実施に努めるものとする旨を大学設置基準において明確にすることが必要である。」と記している。そこではFDは、「教育研究の不断の向上を図るために大学が本来的にその責務として行うべきもので、FDの「組織的な」活動、大学全体の取り組みが強調されている。

また「グローバル化時代」答申においても、教員の教育能力の向上が強調されている。「教員の教育の能力向上のためには、各大学において、昨年度新たに制度化されたファカルティ・ディベロップメント(大学の授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研究及び研修)の実施を推進する必要がある。また、教育課程の編成、実施、個々の教員の授業運営、成績評価等教育活動における一速の過程に関して、教員が、随時、意見や情報を交換し、それらの改善を検討する場を設けることも、教員の教育者としての意識を高めると同時に教育の質の向上を図る上で大きな効果があると考えられる。」と述べている。「グローバル化時代」答申では、教員の採用選者に際して、教育能力や実践的能力を評価すべきとまでいっている。

この2つの答申が、強調しているのは、大学の教員は、研究者としてばかりでなく、教育者としてのアイデンティティを持つこと、および学生の教育の改語には、個人ばかりでなく組織として取り組むことという2つである。学校教育法第52条には、大学の目的が記されているが、「大学は、学術の中心として・・・深く専門の学芸を教授研究し・・・」とあるが、そこでは大学はそれ以前の学校と比べ、研究機能の強調が明らかであり、実際ほとんどの大学教員のアイデンティティは、研究者としてのそれであろう。研究は人文社会系では、個人プレイであり、理系でも教育については個人ベースでなされている。また大学の自治、学問の自由は大学教員の教育に他人が関与しないことを保証しようとする理念である。これらのことと教育活動を組織として向上させる責任であるというこのには、大学のあり方の、180度の転換を迫っていると見ることができる。


2.FD活動の背景

ではこれらの動きが、何故1990年代に出てきたのかを考えてみる。一連の大学改革の背景にアカウンタピィリティ(説明責任)とトランスペアレンシー(透明性、客観性)の考え方が関与していることはほぼ定説である。これは、政府機関、企業または非営利組織で盛んに問題となり、大学にも浸透してきた。国立大学の学費は過去上昇し、家計の負担が大きくなっているが、それでも税金のしめる割合は多い。そこでは、納税者へ国費がどのように使われたか、その使用は効率的であつたか、果たすべき機能が効率的に達成されているか、といった説明責任がある。他方私立大学は、授業料が経営に占める割合が多いが、こちらも学生、保護者にたいする情報公開のあり方が問われている。企業が株主に対して経営の透明性が求められると同様に、学生の支払った授業料は、何に使われているのか?授業料に見合った教育を学生は受けているのか?学生の教育に教員は努力しているのか?学生は在学中どんな能力を発達させることができるのか?私学もこれらの疑間に適切に答える責任が課せられてきた。

そしてFD活動の起こってきた背景には、消費者としての学生の力が、だんだんと強くなってきたことを挙げることもできる。アメリカでは、大学教育の質に不満を持つ学生が、大学を訴える事態も発生し、大学教育も消費者保護を目的とするPL法の範囲に入ったのかもしれない。日本でも、今以上に学生が大学、教員を絶対的なものと見なさない傾向が強まるだろう。これまで学生の不満は、授業料値上げであり、大学の管理運営形態であり、時の政治体制であり、またそれは就職難のいらだちの表出であつて、授業そのものには向けられなかった。しかし今後は大学の教育内容、方法に関して学生の異議申し立てが行われよう。たたしかつての学生紛争のように顕在化した形ではなく、授業中の私語、授業中での途中退席、授業登録者ゼロ、志願者減、定員割れ、という形で静かに進行していく。特に社会人学生が、学部教育や大学院で増えると、授業に不満を持つ学生が、大学や教員を非難することは(例えばウエッブ上で)増えるであろう。学生による授業評価、教員評価は、大学がイニシアティブを持って行うが、学生が主体となって授業の情報交換、教員評価、教員ランキングを行うケースも出始めている。

加えて企業は、グローバリゼーションの中で、国際的競争力をつけるため終身雇用の見直しを進めている。終身雇用制の下では、新規学卒者に対して、入社後オンザジョプトレーニングによって企業自らが雇用者を訓練するから、大学時代に学力や職業的能力を高めることを期待してなかった。企業は、大卒を即戦力として期待せず、潜在的能力を買っていたと思われる。しかし大卒という肩書きだけで通用する時代は終わり、学歴主義の崩壊も徐々に進行する。そこでは大学での職業的トレーエングが、ますます企業の側から求められることになる。そして大学は、学生のemployability向上に努力を強いられる。グローパリゼーションの関連でもう一つ述べれば、例えば、工学の分野で、国際標準を作ろうという動きがある。

日本工学アカデミーが、これを始めている。今後は、医歯薬、法律、会計の分野にも広がるであろう。国際標準化の動きの中で、日本国内だけて通用する教育が変化の波にさらされている。

また進学率上昇に伴う学生の多様化を背景に挙げることができる。18歳人日の減少に伴い志願者に対する大学の収容力は余裕が出始め、進学率は上昇の一途をたどってぃる。これによって入試倍率が低下し、ほとんどすべての大学で学力の低下が問題になってきた。個々の私大も学生確保のため、入試料目数を年々少なくさせている。かつては、入試の厳しさによって学生の学力が担保されていたといわれるが、それが日本全体で崩壊し始めた。さらに学生は様々な入試方法で入学してくるので、大学は質的に均―な学生によって構成されることがなくなった。そこで新しい教育方法、教育技術が求められている。日本の大学や教職員は、これまで教育熱心な国民に支えられて、自ら努力しなくてもいくらでも学力のある顧客は存在した。しかし教育面での努力不足が、次第に顕在化してきた。政府の手厚い保護の下で、ぬるま湯経営をしてきた銀行や生命保険業界の企業体質と大学は同じだという人もいる。すでに入試競争で学力は保証されなくなった。以上のように、FD活動の背景を指摘したが、それは、大学の内部から、少なくとも大学教員の中から自発的に出てきた動きではない。大学を取り巻く外部社会、政府、企業、受験者、保護者などの変化によってもたらされた動きであると考えられる。そしてそこにFDの課題がある。

3.FDの実際

1990年代に入って各大学でも、積極的にFD活動に力を入れ始めてきた。国立の総合大学では、まずそれを受け持つ専門部局の設立をする。例えば広島大学高等教育開発センターは、学内共同利用研究施設としての大学教育研究センターを改組したものである。後者は、1980年代よりFDをはじめ大学教育の様々な問題に積極的に取り組んできた。他には神戸大学大学教育研究センター、北海道大学高等教育機能開発総合センター、京都大学高等教育教授システム開発センター等が挙げられる。これらのセンターでは、研修会、シンポジウムを主催、共催し、FDについての情報提供、交換を行い、またFD専門家の講師派遣等を行っている。

「21世紀の大学像」答申では、FDの対象を教員のみに絞っているが、教育効果向上のためには、事務職員や経営管理者の開発(SD:スタッフデベロップメント)と並行して行われるのが望ましいと考えられるため(そのような実践もおこなわれている。2000年秋に行われた広島大学高等教育研究開発センター研究員集会には、広島大学の職員研修の一環とされ、教員だけではなく事務職員の参加もあった。国立大学だけではなく、国際基督教大学、東海大学、桜美林大学、文教大学などか、教育研究所や研究センターを有してFD活動を行っている。立命館大学には、大学教育開発・支援センターが開設され、大学授業についての研究会が開かれている。椙山女学園大学の総合クリエイティプセンターもFD活動を行っている。

大学審議会では、FDが各大学単位で積極的に行われるものと定義しているが、実際は、複数の大学、団体、学会で行われる例もある。日本私立大学協会、日本私立大学連盟、メディア教育開発センター、民主教育協会(IDE)各支部、大学コンソーシアム、大学教育学会でなされている。日本私立大学協会は、私立大学の60%以上が加盟している私学最大の団体である。同協会は、戦後すぐに創設されてから、大学における教育内容の充実と教職員の資質の向上を強調してきた。同協会の教職員研修事業は、多岐にわたり事務局長相当者研修会、学生生活指導部課長相当者研修会などがある。これまでは専ら事務系職員向けであったが、FD活動の高まりで次第に教員の比重が大きくなりつつある。

メディア教育開発センターは、1997年放送教育開発センターを改組して設置された大学共同利用機関である。事業の一つに、教員研修があり、全国の高等教育機関の教員を対象に各種メディアの教育のための利用に関する専門的知識、技能を持つた教員の養成を行っている。

これは千葉市幕張の同センターにおいて、参加者が集合的に研修する。(http://www.nime.ac.jp/KENSYU/)

IDE民主教育協会の学生生活研究セミナーでも、FD活動を行つている。東海支部では、名古屋大学で毎夏研究会が開催され、最近は、しばしばFD関係のトピックが取り上げられている。大学セミナー・ハウスも、文部省の教育方法改善経費の配分を受けて一泊二日の日程でFD活動を行つている。

大学コンソーシアムで先行するのは、京都である。これは、財団法人化されている。現在45大学・短大、京都市、京都経済4団体が加盟している。加盟大学問の単位互換や企業を巻き込んでのインターンシップなどの事業を行つているが、FD活動も積極的に行っている。

そこでは、大学教育改善のシンポジウムや講演会、そして分科会では参加型研修も開かれている。

最後に挙げるのは、大学教育学会のFD研究活動である。この学会は、かつては一般教育学会と称していたが、一般教育という名称が時代にそぐわなくなり、1997年に現在の名称になった。この学会では古くから大学教員の教育力向上に取り組んできた。名称変更に際して、FD学会という名称候補もあったぐらいである。そこではFD活動を教授団ないし大学教員が自律的に、その責任意識と活力を基調として能力を開発するさまざまな活動と定義し、大学教育改革のカギととらえている(原)。

4.私学とFD

厚生省人口問題研究所によれば、2000年からこの先30年18歳人口は、120万人を超えることはなく、109~120万人の間をとると予測されている。2001年に151万人であるから、大学にとっては、学生募集に関してさらに厳しい状況が続くことになる。大学問の学生募集競争が激化されるが、そこにおいて、一つの戦略となりうるのは、各大学が明確な教育理念を掲げ、その理念を実現すべく教育方針、教育内容、方法を明らかにする広報である。そして学生が、何を修得できるか、いかに付加価値が付くか、どのくらいemployabilityを得るか、を宣伝することである。それには教職員に対する教育理念の確認、教育力の向上を目指したFD活動が必要となろう。

「21世紀の大学像」審議会報告のサプタイトルは「競争的環境の中で個性が輝く大学」であるが、私学は財政的基盤の確立している国立大学とは異なり、ほとんどの時代競争的環境に置かれている。大学教育需要の変化に敏感に反応し、これまで私学は学部改組、新学部設立、短大の四年制化などを国立に先んじて積極的に行ってきたのは、競争的環境にすでに置かれているためである。また私学には、それぞれ建学の精神という明確な教育理念があり、個性がある。その意味では、私学にはもともとFDがインフォーマルに行われているのかもしれないし、FD活動なしでは、生き残れなかったであろう。FDの必要なのは、学生募集に関して授業料の安い比較優位にある、研究志向の強い、教育に対して没個性的な国立大学に勤務する教職員である。

さてその国立大学も現在大きな変革期を迎えている。文部科学省は、2001年度中に国立大学の独立行政法人化の具体的な制度設計を行い、制度の全体像が関もなく明らかにされる。

ただいろいろはっきりしない点が多く、現時点で評価を検討するのは無謀だが、私学に対する影響も小さくないと筆者は考える。独法化は、大学に法人格を与え、大学の自主、自律性を認め、各大学に運営を任せ、また自己責任をとらせる狙いがある。競争原理の導入、インセンティプによる運営である。将来は変わることが予想されるが、当面は予算は相変わらず、運営交付金の形で国から配分される。しかし使途は、各大学の自由に任される。学生募集に関する様々な活動にも、従来とは異なって重点的な予算配分が可能となる。また教職員の給与も一律ではなくなり、各大学内で決定できるようになる。研究面で業績の優れた教員、教育面で熱心な教員の報酬が高くなることも考えられる。優秀な教員が私大から、ますます退出することが予想される。

独法化後、各大学は中期目標を提出する義務を持つといわれる。そして第三者評価機関によって目標のパーフオーマンスの程度が評価され、それにも基づいて予算配分が決定される。

教育面での目標も定められず、研究志向の強かった国立も、教育により力を入れ始めることが予想される。さらに教育のみならず、学生募集、入学広報、大学独自の奨学金の提供、学部改組だど私大の先行していた面でも力を入れるだろう。このような国立大学の独法化は、地方目立大学で特に危機感をもって受け入れられているが、地方の私大もより厳しい立場に立たされると考えられる。もともと首都圏では、国立大学の学生シェアは、小さく、私大が集中している。そこではむしろ私大に対する学生数での影響は相対的に小さいであろう。

5.FDと大学評価

先にFDとは、教員に教育活動の重要性を認識させ、教授技能の向上を目的としていると指摘したが、それには、過去の活動や現在の状況の適切な把握と、将来への展望がなければならない。それの基礎になるのが、評価と言えよう。FDと大学評価は、1990年代に同時に現れたが、大学教育の活性化、効率性の追求に関して共通の土壌を持つ。

1991年の大学設置基準が大綱化され、教育課程の編成の自由化が認められたと同時に、自己点検・評価が義務化された。そして大学審議会の方針は、大学の自己点検。評価から次第に外部評価、第三者評価に移ってきた。「21世紀の大学像」答申には、国立による第三者機関として大学評価機関を設立することが盛り込まれ、学位授与機構を改組、大学評価・学位授与機構を設立している。そこで大学の活動を評価する事業、大学評価に関する調査研究、大学評価に関する情報の収集、分析、提供が行われる。将来は、評価によって資源配分を行おうという考えもある。「グローバル化時代」答申では、「大学として、教育活動の中核である授業の実態を確実に把握することが基本であり、その上で、大学の組織的な教育活動に対する評価及び個々の教員の教育活動に対する評価の両面から評価を行うことが重要である。」とし、FD活動と大学評価の強い関連性を指示している。

私立大学でも、大学評価は自己点検、評価から第三者評価の方向に移っている。大学基準協会の相互評価がそれに当たるだろう。また日本私立学校振興・共催授業団が委員会を作りそこで、私学の評価をおこない助成金の配分に用いている。このような第三者評価の活性化の動きの中で、私学はFD活動を報告、宣伝する必要がある。FD活動自体の大学による評価も重要となる。つまりFD活動によって、教員の教育力がどれだけ向上したか、学生の学習量や質がどのくらい向上したかを明示し、評価しなければならない。但しこれには、いろいろ問題があり、たとえば天井効果ceiling effectをどう扱うかといった問題もその一つである。これは、FD活動の初期の頃は、その効果が大きいと予想され、評価もポジティブなものになりやすい。しかし大学、教員が次第に積極的にFDに取り組み出すと、その効果のマージンが小さくない、ポジティプにとらえにくくなる。


6.FDの課題:組織から個人ヘ

先にFD活動とは、個人の活動から組織の取り組みへという傾向を指摘した。ここでは、逆の組織から個人へというFDの課題を付け加えたい。これは、教員個人、職員個人の意識が大切であるということに他ならない。FD活動には、研修のほかに実験参加型がある。研修参加は、多くの場合トップダウンの意志決定によるが、これは短期的には効率的なFDであるが、授業や教育過程の中で試行錯誤的に行われる実験参加型のFDが、長期的に見ると教育現場を改革し、学生の資質や学力を高め、教育生産性を上げることにつながるという指摘もある(有本)。

教職員個人の教育力の向上には、結局個人の意識の向上が必要である。しかしこの意識向上には、何らかの報酬が必要であると、筆者は考える。研究に対する報酬は、学会での注目、より威信の高い大学からの誘いなどがあるが、多くの場合教育業績には何もない。アメリカでは、teacher of the year であるとかBest teacher award in 2001 といつた表彰制があり、金銭的報酬も加えられているようである。またテニュア(終身雇用資格)獲得のために研究業績に加えて、教育業績として考慮される。事務部においても教育向上のための改善提案に対して、何らかの報酬をあたえることも考えなくてはいけない。「グローパル化時代」答申にも、「優れた教員の顕彰や処遇改善を行う」ことが盛り込まれている。

また教員個人が自覚しないと、今以上に外部の強制や統制が強化されるという危惧もある。FD実施の努力義務が大学設置基準で法制化される方向は、これを示している。私学は元々多様な個性を有し、また競争的環境に置かれてきた。大学洵汰、教職員リストラの大学競争状態の自覚も国立の教員に比べ私学の教員は強い。そこではFD活動は、すでに大学として必須の活動であり、法制化などによって、強制されるべきものではない、と筆者は考える。

参考文献

有本章「ファカルティ・デイベロップメントの歴史と展望」 IDE NO.412 1999年10月号    pp5-11
原一雄「大学教育学会のFD研究活動」 IDE №412 1999年10月号    pp66-70

 
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